やまぐろノート

記録的日記

謝罪を濫用するなよ

最近のコロナ禍での影響を職場でひしひしと感じている。

客数が減ったり逆に増えたり時短になったりと日々目まぐるしく情勢が変わり、昨日までの日常が今日の日常の中で更新されたりする。

私の職場も例外ではなくコロナ前とは大きく変化している。

その中の一つが、シフトだ。

自分がコロナになっていなくても家族が陽性や濃厚接触者なら検査の結果がくるまで自宅待機しなくてはならない。当然仕事を休むことになる。

誰かが仕事を休むことに関しては特に何も思っていない。悪いのはコロナであって十分に注意してても学校や職場でうつれば仕方のないことだと思う。

私の職場のスタッフに保育園生の子供をもつ女性がいる。

コロナ禍になってから何度か園内で陽性者がでたり保護者が陽性になったりしており保育園は何度か休園している。

そうすると子供を預ける場所がなくその女性は休むことになる。

子供が濃厚接触者になれば子供と一緒に念のためということで検査を受けたりしている。

そして仕事を休むことはいいのだがそのあとの連絡が毎回引っかかる。

「子供が行ってる保育園で陽性者が出て休園になるそうです

 子供を預けられないので私も休みます

 本当に迷惑ばっかりかけてすみません!

 代わりに〇〇さんが出てくれることになりました

 〇〇さんすみません」

概ねこういう内容の連絡をし、他の人が「大丈夫だよ」「自宅待機つらいと思うけど頑張って」と返事をすると「迷惑かけてすみません」と返す。

このコロナ禍でこのやり取りが何回もあり、そのたびにすみませんの字が増える。

最初のほうは何も思わなかったがだんだんと「この人は何に謝っているんだ」と思った。

コロナにかかったのはその人の子供でもなくその人自身でもない。

園内で出た陽性者や濃厚接触者もなりたくてなったわけではない。

自粛を守らず外で遊んだ可能性もあるがそこまでは知る由もない。

なのにその女性がここまで謝っている理由がわからない。

仕事に穴をあけることにはなるが仕方のないことなので、すみませんと一度断りを入れればこちらもその穴を埋めようと働くしかない。

その人は悪くないのにこう何度も謝られると子供がいることに謝っているのかと考えてしまう。「私は働きたいのに子供の保育園が」そう聞こえてしまう。ならば何故子供を作ったという話になる。そんな話をしたいわけではないのに。

こういう時のすみませんは最小でいいとおもっている。本人が申し訳ないと感じているなら最小の言葉で言ってくれればこちらもその意を汲み取れる。悪くないとわかっている人から謝罪を聞くのはつらい。

 

穴を埋めた人たちは謝罪が聞きたいのではなく感謝の言葉が欲しいのだ。

代わってくれてありがとう、心配してくれてありがとう。

それだけでいいのにこんなにも謝罪して気を遣ってばかりいる。

感謝されたくてやっているわけではない人がいるかもしれないが声をかけるなら絶対「すみません」より「ありがとう」のほうがいいに決まっている。

悪はちゃんとそこにいて、誰かが背負ったりしなくていいと私は思う。