やまぐろノート

記録的日記

反省できない大人

反省できない大人、紛れもなく私である。

最近自分が反省できていないことに気づいたので記事にして自分と向き合おうと思う。

 

私は人と比べて、叱られることが少ない方だったと思う。

両親や先生仕事先での上司等に常に叱られないように振舞ってきた。

それは私が単純に叱られることや怒っている人を見るのが嫌いだったからである。

他人同士の喧嘩でさえも大声で怒鳴ったりしているのを見ると血の気が引いていくような感覚があった。家族の喧嘩なら尚更、酷いときには何も関係がないのに風呂場でひっそりと泣いていた。

 

母から片づけなさいと言われた時、仕事でミスをした時、叱られたその場で謝ってもう二度としないと心の中で誓っていた。昔はよく遅刻する方だったが、一回一回「もうしない!!!」という強い気持ちを本当に持っていた。上司や先輩に本気で謝った一週間後に遅刻をしたりもしたが、毎回謝る気持ちはガチだった。

 

先日、仕事で処分していいかわからない書類があったので近くにいた人にどうしたらいいか聞いたら「捨てていいよ」と言われたので捨てた。しかししばらく経って他の人に「あの書類は捨てたらダメだよ」と言われた。その時すぐに謝れたらよかったのだが、私は開口一番に「でも〇〇さんに聞いたら捨てていいよって言われたんですよ」と言ってしまった。

私が聞いた人は結構適当なところがある人なのでその場で納得してもらえた。一方で私はすぐに謝れない自分に軽い自己嫌悪を感じた。この時、私ってすぐ逃げたり保身に入ったり責任をどこかに飛ばすところがあるなと気づいてしまった。今回の件は私がすべて悪いわけではないけれど、あの場ではすぐに謝って後で聞いた人に「さっきの書類捨てたらダメらしいですよ」と伝えればよかった。

 

また別の日には、曜日ごとに担当が決まっている仕事があり私は金曜日の担当だった。しかし実際は他の曜日に担当不在で私がやったり、金曜なのに私が出来ない状況になったりと、担当制はほぼ機能していなかった。なので全員が見れるところに曜日担当もしくは代わりの人を書き出しているので、自分が何曜日の担当なのか覚えていなかった。出勤したときに自分の名前があったらやっていた。

ある日の金曜、私が出勤したら誰の名前も書き出されていなかった。前日のうちに書かなければいけないのだが、前日の人が書くのを忘れていたのだろう。私は自分が金曜の担当なのをすっかり忘れているし名前があったらやるという感覚なので退勤1時間前まですっかりその業務を忘れていた。思い出して急いでやりながら、他の人に「名前が書かれてないから自分だと忘れていた」などとぬかしてしまった。そう言いつつも心のなかで「自分が担当を覚えていないからです!!!」と土下座する勢いだった。

謝りはしたが言い訳したことに変わりはない。周りはそんなに気にしていなかったが私は後悔しながら帰宅した。

 

これを機に自分の行動を振り返ると、一度怒られたことに対して次ミスをしないように気を付ける理由が「反省しているから」ではなく「怒られたくない、嫌われたくないから」だった。反省しているふりをしているだけだった。反省とはどうするものなのかわかってない。

物事の本質に対してではなくその後怒られることに対してのみ気を配っていた。傍から見ればわからないし、ミスさえしなければいいと思うかもしれない。しかし個人的にはいい大人が反省できず見栄を張ってどうする、と思う。気づいたところですぐに変えられる性格ではない。今までも何かやらかした時に、言い訳を探していた。自分が怒られない理由を必死に探していい子であろうとしてきた。

怒られ慣れていないからこその防御反応だったのだろうか。

 

私に足りないのは怒られる勇気だ。怒られる=嫌われると思い込んでいる。

怒ってくれる存在がいることのありがたさを感じなければいけない。

なんて思えるかクソが。そんなすぐに人は変わらない。ここまで書いた今でも怒られることは嫌だ。

まずはやらかした時に、真っ先に謝れるように。自分が悪い事をきちんと自分のせいにできるようになろう。