やまぐろノート

記録的日記

Free and Freedom

続・ポルノグラフィティツアー最終日、私が配信でポルノグラフィティの「続」を見届けるまでのお話。

 

私は今回のツアーが始まる時、現地に行く気持ちでチケットを取っていた。

徐々にコロナ感染者数は減ったが、職場の決まりで県外に旅行に行く場合は店長に報告しないといけないと言われ、県外ましてやライブに行くなんて言えるわけもなく今回の参加を断念した。私の住まいと職場さえ違えば行けたのかと思うのなんだか悔しかった。そしてこんな状況の中ライブに行こうとしていた私は浅はかだったのかと考えてしまい、断念したわりには吹っ切れていなかった。

そこで私は、きちんと吹っ切れようと思いライブが終わっている公演のセトリを見た。私が一番好きな曲は「Free and Freedom」である。それさえ入っていなければ諦めがつく。緊張しながら見てみると錚々たるセトリの中にFree and Freedomは入っていなかった。セトリ入りした中で聴きたかった曲はたくさんあったが、Free and Freedomが入っていないだけマシだと思った。これで心おきなく今回のツアーを諦められる。

 

しかし、現実は甘くなかった。なんと後半でセトリが変わったのだ。

ウォーカーがFree and Freedomに変わったと知った時、真っ先に「私が参加しないライブでFree and Freedomをやるってどういうこと...?」と思った。Free and Freedomを何だと思っているんだと思われそうだが、私が一番この曲を好きな自信があるというくらいに唯一無二なのである。異論は認める。

 

あまりの辛さに職場の休憩時間に泣いた。この曲にかける思いが強すぎて嫉妬深い彼女みたいになっているが一向に構わなかった。もういっそのこと結婚したいくらいだった。何を言っているのかよくわからないが、それほど大事な曲なのだ。

私が好きになったきっかけは原曲である。自分にとっての一番の音源を手にしているのだから、今回のライブで原曲を超えて至上最強音源になろうが私の中の暫定一位はあるのだからこれでいいじゃないか。そう言い聞かせていた。

 

Free and Freedomがやったからと言ってライブに行けるようになるわけではない。

私は悔しさを胸に、ツアーが無事に完走することを願った。ついでにDVDかラバップ限定でFree and Freedomのライブ映像を見せてくれないかなと願った。あとしまなみの円盤化やチャレンジグッズや幕張ロマポルのライブCD等諸々を願った。

 

そんな日々の中、吉報が届いた。最終日の生配信決定のお知らせ。

この吉報が届いた時は公園でウォーキングをしていた。通知が来て足を止め、まさかそんなお慈悲が...!!と興奮に打ち震えていた。家まで歩いて5分ほどだったが走らずにはいられず猛ダッシュで家に駆けこんだ。スケジュールを確認すると仕事は休み。神は私に味方していた。ツアーの序盤で見たセトリはほとんど覚えていなかった。記憶力がなくて本当に助かった。

 

ライブ前日、職場のグループLINEで急遽出勤を代わってほしいと連絡がきた。17時には上がれるのでどうせ家にいても無駄に時間を過ごすだけかと思い交代を引き受けた。

ライブ当日、17時に上がるつもりが他の人の仕事を手伝っていると17時半になっていた。急いで退勤し徒歩で帰る途中、重大なことに気が付いた。

 

配信チケットを買っていなかったのである。

ついでに言えば何時から始まるのかも把握していなかった。

 

信号待ちの間に公式Twitterを見ると開演は18時、その時時刻は17時50分。

あんなに楽しみにしていたはずなのになんでチケットを買っていなかったのかは不明だが、私にはこういうことがよくある。いつもギリギリになって慌てるのだ。

開演よりも先にチケットを買おうと思い家までもうすぐだが途中のコインランドリーに入り急いでチケットを購入した。外は雨で手先が冷えてもどかしかった。そしてまたもや家まで5分の距離を猛ダッシュした。

家に駆けこみ急いでパソコンを付け、部屋を暗くしてライブを見る体勢に入った。

 

REUNIONぶりに見るポルノのライブは素晴らしかった。セトリの濃さとその一曲一曲を最新のポルノグラフィティの曲として塗り替える演奏が、常に進化をしているんだと感じさせた。MCで言っていたようにもうしばらくはやらないだろう曲たちが多かった。その曲を披露するからには当時と今の進化を表せなければならないし、観客も耳の奥にこびりつくぐらいに音を憶えなければならない。そのハードルを軽々と超えるからポルノはライブバンドだと痛感した。ステージにバックスクリーン映像がないのもよかった。ライブハウスのように昭仁さんや晴一さんだけでなくサポートメンバー含めて全体を一つのバンドとして感じた。映像があるライブも好きだが毎回そうだとつまらない。配信で見ていてもわかるくらいに、バンド感が強かった。

 

そしてついに、この時が来た。

MCで昭仁さんが「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりに~」と言うから「ウォーカー!?Free and Freedom!?どどどどっち!?!?」と心臓バクバクで聞いていた。

 

「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりにライブでやる曲でございます。

しかと受け止めていただいたら嬉しいなと思います。Free and Freedom」

 

その時、驚きと歓喜の間にわずかばかりの走馬灯を見た。

職場で泣いた時、配信の通知を見て走って帰った時、職場で配信のことを思い出してにやにやしていた時、冬の公園、夜のバス停、校庭、帰り道...

その全てがあって今があったのだ。この人生に悔いはない。

 

生(配信)で聴くFree and Freedomはやはり素晴らしかった。普段からFree and Freedomを聴くとき、「今のポルノが演奏したらどうなるんだろう」と考えたりしていた。その妄想すべてを超えて、最強の現実がやってきた。

原曲はカントリー調ロックなのに対し今回はバンドサウンド強めのブルース、なにより昭仁さんの歌い方がロックそのものだった。だんだんと高くなるサビは私がずっと求めていたものだった。音を出しずらそうに、声を枯らしながら歌う姿がずっと見たかった。晴一さんがゆるく体を揺らしてギターを弾いているのが見たかった。アウトロでピアノが一歩前に出るのも今回の演奏にあっていた。そしてなによりドラムが良すぎた。奥のほうで聞こえる「ドッドドッ」これが聞きたかったのだ。

原曲は大海原に放り出され漂流しているように、終始ゆったりとして心地良い。

しかし今回は、愛と自由両方を手に入れたくてもがいている印象があった。

「憧れてるFreedom 僕らにとってそれはどこへ連れ出してくれるのかな」

この言葉が初めて聴いた当時も今も、ずっと刺さっている。進化し続けるポルノが聴かせてくれたFree and Freedomは、間違いなく私の中でCD音源を超えて暫定一位になった。

 

私の言葉じゃFree and Freedomの良さは語れない。だって知っている言葉はほんのちょっとで感じれることはそれよりも多くて無理やり窮屈な服着せてるみたい。

本当はFree and Freedom以外の曲も触れたいところだが世紀の大興奮で手が付けられない。いろんな記事やつぶやきでたくさんの人がこのライブに触れるだろうと思い、私は私自身のFree and Freedomに対する熱だけに特化して記事にした。

日替わり曲になったウォーカーも本当はすごく聴きたかった。私はポルノのアルバムの中で断トツにアルバムポルノが好きだ。あのアルバムから選出され、今のポルノが演奏するウォーカー、聴きたいに決まっている。これはもう今後のライブに期待するしかない。

 

ポルノが示してくれた「続」はライブだけでは計り知れないものだった。

これからも私はポルノの進化を見続けたい。このコロナ禍の中でツアーが完走したことは大きな一歩だと思う。コロナが収束した後、声を出してテーマソングが歌える日が楽しみである。ポルノグラフィティは希望そのものだ。

すべての人に感謝