やまぐろノート

記録的日記

容姿を褒められたくない

自分の中でずっともやもやしていた考えにようやく説明がつくようになったので記録しておく。

 

私は物心ついた時から容姿を褒められることが嫌いだった。

家族や友人に「かわいい」「顔が整っている」そう言われるたびに反応に困り、どう返していいかわからずその場が変な空気になることが度々あった。

家族に褒められれば馬鹿にされているとか、ご機嫌取りだと疑っていた。

友人に褒められればお世辞だとか謙遜やあなたのほうがかわいいよ待ちだとか、こちらもご機嫌取りだと素直に受け止められなかった。

実際自分の顔を見ても不細工ではないがかわいいかと言われると、何の特徴もないぱっとしないどこにでもいそうな顔だと思っていた。中学入学をきっかけに眼鏡をかけ始めると、眼鏡効果でつけている間は目が小さい芋くさい女だった。眼鏡を外して鏡で自分の顔を見るたびに「こんな顔だったっけ」と自分の顔をきちんと認識できていなかった。しかし卒アルを見ると不細工だなと思う。

ほとんどの眼鏡をかけている人が体験したことのある「眼鏡を外すと美人もしくは残念」のあれを、中学以降今でもずっとくらっている。眼鏡を外して「こっちのほうがいいよ」という反応を浴びせられすぎて、途中からはその反応を期待して眼鏡を外した時もあった。けれどやはり反応に困るし心の中でもやっとしたものがあった。

 

この感情が何かわからないまま社会人になり、ひとまず自分は他人からのお褒めの言葉を素直に受け止められない「ひねくれ者」なんだと自分に納得させていた。

かわいくなりたくて悩んでいる人はたくさんいて、不細工いじりを傷つきながら耐えている人がいる。それを思うと褒められる度心の中で嫌な顔をしている自分が傲慢のようで、この感情は修正すべきなのだと思っていた。

しかし無理やり納得させているだけなので当然気持ちは変わらず、せめて褒められることをなくそうと思い家族や仲のいい友人の前ではナルシストキャラでやり過ごした。褒められると食い気味で「あざーっす!」「かわいくて参ってんだよね」と言い「こいつうぜ~もう褒めるのやめよう」と思われるのを期待した。すると褒められることはほぼなくなり、今まで褒めることで引かれていた一線がなくなったような気がした。さすがに仲良くない人の前でやるには勇気がないのでその時は心の中で嫌な顔をして「いやいやそんな」と言い話題を違う方向へもっていくしかない。当然変な空気にはなる。

 

そうして自分の心を守っていた私に転機が来た。職場に一つ年下の女性が入ってきた。明るくコミュ力が高く仕事もできる彼女とだんだんと打ち解けてきた頃彼女が私に言ったのだ。「私やまぐろさんのこと好きです!仕事が早いし話しやすいです!顔も整ってると思うんですよね!」周りに4名ほどスタッフがいる中で言われたのだ。彼女としては悪意も他意もない純粋な言葉だが私としては複雑な心境だった。他のスタッフの前で私を褒めることで、褒められていないスタッフはどうなんだという話になる。別に全員を褒めろと言うつもりはない。彼女が興奮気味に私に話しかけてくるので「私はどうなんですか」と他の人がボケて間に割り込むこともできない。私から「あなたもみんなもかわいいよ」と褒めあうのも気持ちが悪い。結局私は爆笑しながら「そうかな~そんなことないと思うけど!ありがとう」と言いその場を流した。

と思っていたのが大きな勘違いだった。その後事あるごとに彼女は私を褒めた。普段メイクするんですかと聞かれて眉と口くらいかなと言ったら「今度メイクして綺麗なやまぐろさんが見てみたいです!」と言われた。今は綺麗じゃないのかよと笑いながら言ってみたら「いつも私がこんなに褒めてるのになんでそんなこと言うんですか」と笑いながらちょっとマジな声色で言われた。また変な空気にしてしまった。そんなに褒められても嬉しくないと言うことが出来ず私の中のナルシストは彼女の前では出てこなかった。

 

彼女と出会ってから改めて、私がなぜこんなに容姿を褒められるのが嫌いなのか考えてみた。よく考えたら容姿に留まらず当たり前のことや読書をしていることを褒められた時でさえ、心穏やかではなかった。ちなみに本を読むのはめちゃくちゃ遅いし飽き性なので短編集ばかり読んでいる。

ネットで調べてみても「反応に困るから」「プレッシャーに感じるから」「褒められて浮かれている自分を見せたくない」「褒められ慣れていない」などいまいちピンとこなかった。世界中探せば同じ気持ちの人がいると思っていたのに全然ヒットせずまた前と同じように自分を「ひねくれ者」だと納得させようとしていた。

 

そんなある日、急激に結論にたどり着いた。

YouTubeのエレガント人生チャンネルというチャンネルの中の

ほぼ雑談】エレガント人生・祥子の一日~美容Day編~【登録者6万人突破記念】という動画内(4:25~)で祥子さんが複数人いる中で特定の人だけかわいいと言うことにもやっとするというような事を話していた。この話が物凄く共感出来て、やっぱりそういう考え方ってあるよね!と思っていた。コメント欄にも同じように思っている方がたくさんいてその中でさらに関連する記事を記している方がいた。その記事がnoteで公開されている安原健太さんの「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」だった。

この記事のすべてが自分に当てはまるわけではなかったけれど長年悩んでいたことが一気に晴れた気がした。努力もしていない先天的なものを褒められた時のあの感情は「ひねくれ」ではなく「失礼だと感じている」だった。当たり前にやっていることを偉いと褒められた時もそうだ。子供に褒めているかのような態度にもやっとしていた。「さすがだね」という言葉が苦手だ。

 

私は今でも容姿を褒められることが嫌いだ。職場の女性から褒められた時未だにどうしていいかわからず爆笑することで場を流している。そろそろ爆笑で流すにも無理があるとも感じている。相手の事を考えると、気持ちを拒絶されていると感じているかもしれない。しかし私の素直な気持ちを告白して職場関係が崩れることも避けたい。これは私が彼女とやっていく上での課題なのだ。私の中のナルシストが顔を見せるまでの戦いなのだと思う。

 

本当はずっと、初対面の人の容姿を褒めないことを褒めて欲しかった。容姿を褒められるなんて若いうちだとは分かっているが、年齢を重ねたときの人としての美しさを褒めて欲しい。褒めて貰えるように毎日頑張っているので。

私には私の価値観があり、彼女には「容姿を褒める」という価値観がある。

私が彼女の容姿を褒めたらどういう反応をするかはわからない。喜ぶかもしれないし私と同じような気持ちが芽生えることもある。相手が喜ぶことをしろという教えがあるけれど、私は自分がされて嫌なことは人にはしたくない。むやみに容姿を褒めることはしたくない。

 

もちろん顔を褒めてもらいたい人はいると思う。自分の顔に自信があったり整形やダイエットで理想の顔に近づいた人はいるだろう。そんな人に出会ったらきちんと褒められる人になりたい。人を褒めることに対して消極的になって「髪切ったんだ、似合ってるね」の言葉すら言えない自分を変えたい。 

 

今ある現状を変えることはまだ出来ないが私の長年の心のもやもやが晴れたことはこれからの人生において少し前に進めたと思いたい。

 

(追記)2022.8.2

この記事からスタートして、私がブログを作って一年経ちました。

一年間、月一のペースで更新してきてこの記事が一番アクセスが多かったです。

深夜の勢いで書きなぐったものですが、誰かの悩みに少しでも寄り添えたら幸いです。

ということで一年記念にこの記事を書いたきっかけをちょこっと話しました。

yamaguro.hatenablog.com

独り言のようなブログですが思いのほかたくさんの方に見てもらい、感謝感謝です。