「好きなものを教える」は特別
好きなものを教えるって特別だ。
初めて会った人にカレーが好きなことは教えるかもしれないが、好きなバンドは教えない。
仲良くなったところで職場でしか会わない人には教えない。
プライベートで会うようになったら、もっと仲良くなりたいという思いでようやく秘密を打ち明けるかもしれない。
仲のいい友人グループがいくつかあるとして、そのコミュニティが一切交わらないものならばそこにいる私の顔も少し違う。
年上が多いコミュニティなら私は後輩の立場を徹底するしオタク仲間ならば趣味全開で話す。職場の人とは基本的に仕事のことで盛り上がる。
そのコミュニティでしか出ない顔、話題、ノリがある。
それは悪いことなんかじゃなくて、それぞれのコミュニティでの居心地のいい居方だと思っている。
例えばオタク友達と遊んでいるときにオタクじゃない職場の人と遭遇したときの気まずさ。
「やばいwwwwww今月グッズでお金使いすぎて死ぬ。推しに殺されるwwwwいや推しに殺されるなら本望なんだけどむしろ殺して欲しいくら・・・・・・・あ、こんにちは~あっはい 今日休みで~・・・・・・・・はいまた職場で~お疲れ様です・・・・・・・あっそれでさ買ったグッズなんだけど・・・・・」
双方向に気まずいのである。
すべてのコミュニティで同じ顔を出せたらいいかもしれないが私はそこまで人間関係をうまくやれない。
私はポルノグラフィティが好きだ。
誇張なしで、本気で生きがいだと思っている。
ポルノファンである私は、他のどのコミュニティにいる私よりも内向的でだらしない顔をしている。
ポルノファンであるということが私にとって重要なプライバシーなのだ。
そこが一番のセーフティーゾーンだと思っているので、誰かに踏み込んでほしくはないし分かり合いたいとも思っていない。
ポルノが好きな同士でさえ、いらないと思っている。
以前の職場で私がポルノを好きだと言ったら散々な言われようだった。
「渋い」「最近見ない」「やまぐろさん世代じゃないよね?」「顔かっこいいよね」
うるせえ!!!!!!!!
ちゃぶ台があったらひっくり返したい程反論したかったがやめた。
私はここで「そんなことないですよポルノの最近の曲だとこれがおすすめで...」
と布教をするようなファンではないので苦笑いで返すのだ。
そんな苦い思いを何回もしてきた。ポルノが悪いわけではない。
あのおじさん達は最高にかっこいいのでファンであることは誇りだが、どうしても世間のイメージというのは簡単に更新されないのである。
私はこういう時に「え?ポルノ好きなんだ!ライブとか行ったことあるの?いいなー私も行ってみたい」と(私基準で)肯定的な返しをしてくれた人にしかこの話を広げない。
そんな私の「好き」は特別な人にしか伝えない。
そもそも人見知りで仲良くなるのに時間のかかる私は、好きを打ち明ける相手は慎重に選ぶ。
私と話している相手が第三者に対して「やまぐろさん〇〇が好きで〇〇なんだよ」と我が物顔のように私のことを話されるのが嫌いな私である。
こんなに拗らせていなければもう少し人間関係うまくやれたのにとは思う。
ただ私は「友達」と「仲のいい職場の人」では明確に線引きをしている。
不器用な私が数少ない友達を大事に出来るように、ある程度の優先順位はある。
その線引きの基準が、「好きなものを教える」である。
推しに認知されたくない話
私は推しに認知されたくない。
推しに限らず私が憧憬を寄せる対象の全般においてそう思う。
名も無きファンでいたい。
私がそう思うようになったのはとあるゲームの生配信を見ている時だった。
コメントを拾いながら雑談し、ただひたすらゲームをする顔出し生配信。
コメントはすべて拾うわけではないしスパチャされても絶対に読み上げるとは限らない。ファンに対して塩対応というか、本当に心の底から媚びるつもりが一切ない配信者だった。
「スパチャしたからって読んでもらえると思うな」
「お前らコメント欄で馴れ合いすんな」
そういうスタンスの配信者で、視聴者もそういうところが好きな女かひねくれている男しかいなかった。
女の視聴者の中にはリアコもちらほらいて、配信者はそれに対しうっとおしがる様子もみせていた。
それも含めて通常運転なのでみんな好き勝手にコメントしていた。
かくいう私もそういう正直なところを「おもしれー男」と興味本位で見ていた。
ある配信中、一人の視聴者が「ひさびさに配信見た」とコメントした。
ただのなんてことないコメント、読み上げられたいとかそういう気持ちもなく流されるだろうと思っていたのだが
「『ひさびさに配信見た』......お前こないだも来てたから別にひさびさでもねえじゃん」
まさかそんな返しがあるとは思わなかった。
それに対し他の視聴者は「そんなんわかるの」「視聴者のこと覚えてるの」とざわざわしだした。
それに対し配信者は「よく来るやつは覚えてる」と答えた。
私はその配信者の生配信には4時間だろうが深夜までかかろうが貼りついてコメントをしていた。ずっとコメントしているので読み上げられることも何回かあった。
Twitterで呟いたらエゴサされていいねやリツイートされたり、リプしたらさらに返事がきたこともあった。
Youtube登録者数も1万人いかないくらいだったのでよくコメントする人、リプを送る人もある程度見知った人たちだった。コメント欄はよく来る8.9人くらいで回していた。
いままでさんざん絡みに行っていたが、認知されるとは露ほども考えていなかった。
しかし「よく来るやつは覚えてる」という発言で自意識かもしれないが「認知されてるんじゃないか」と思ってしまった。
別の日に、他のYoutuberとコラボ生配信があった。
私はどんなゲームだろうが誰とコラボしようが見に行きコメントしていたのでその配信も当然見に行った。
その中でコラボしているゲストの人に私のコメントが読まれ、私の推しがゲストに「こいつはずっといる」と私のことを話した。これは決定的だった。
その時は素直に「覚えてくれてたんだ、嬉しい~!」と思った。
しかししばらく経って、認知されたことを変に意識してしまったのだ。
私はあなたのファンだと覚えられた以上、迂闊に変なことを言えなくなってしまった
いままではコメントでオカマだったり幼女だったりと自由に遊んでいたのだが、前のブログで書いたような「人格が生まれた」感覚があった。
名無しがコテハンになった感じがしたのだ。
もちろんファンサをするような人でもないし自分がアイドル的な応援のされ方を嫌う人だ。私もアイドルとして見てはいないし推しという言葉はあまりしっくりきていない。(ただ認知という言葉を使う上で、推しと表現したほうがわかりやすいのでそう表記する。)
どちらかといえば会話できるラジオパーソナリティくらいの感覚で話していた。
認知されたからと言って対応が変わるわけでもない。私の意識が変わっただけだ。
その後から生配信の通知があっても見る気にはならず、自然とツイッターでも呟かなくなった。
そうしていると久しぶりに配信を見ても話題についていけず、しばらく見るつもりで開いても数分で画面を閉じることばかりだった。
でも相変わらず話やゲームは面白いのでコメントをせずに見てるだけだった。
そういったことがあり推しとの距離が近いSNSで、推しの話をなるべくしないようになった。興奮したときやあわよくば届いてほしいと思った時だけ、エゴサでひっかかりやすいように投稿した。
先日、私が好きな漫画のイラストがタイムラインに流れてきた。
あまりにも綺麗で最高すぎて、思わずリプしようかと思ったがなんだか身元がばれるのはなあとその絵師のプロフィールをみてみると、なんとマシュマロが開かれていた!
マシュマロはやったことないけれどあれだろ、匿名で感想言えるんだろ
その程度しか知らずマナーなんてもんがあるのか気にする余裕もなく、私はその絵師に思いの丈をぶつけたのだった。
マシュマロを投げた後しばらくメディア欄を見て、これは完全に好みの絵だ...と大興奮でフォローボタンを押した。
自分のホーム画面に戻った時、その絵師の新しい投稿が出てきた。
なんと5分前に投げたマシュマロの回答だった
さすがにこんなん恋に落ちてしまう。一瞬で推し絵師になってしまった。
以来その絵師がイラストを投稿すると私はマシュマロを投げるようになった。
匿名だからこその居心地のよさ。あと同一人物だとはばれていないのでまったくしつこく思われない。
マシュマロよ、使ったことなかったけどお前がオレの相棒だったんだな。
これで私は認知や気まずさから少し解放されたのだった。
創作活動する人は是非ともマシュマロの設置を検討してみていただきたい。
ちなみに似たような話で、よく行く店で常連扱いされたくないとも思っている。
ネットコミュニケーション
私がインターネットをやり始めたのは中学生の頃。
ネット上で誰かと友達になれることが楽しくてコミュニティサイトやチャットで友達を作ってアバターで会話したりブログにコメントをしたりしていた。
ネ友だけじゃ飽き足らずリア友にもコミュニティサイトをおすすめしてネットでも現実でもよく遊んでいた。
あの頃の私は放課後も休日もネットに入り浸っていた。
ネ友の誕生日、好きな漫画、好きな曲、よくいる時間帯を把握し、おすすめされた曲を聴いて私も好きな曲をおすすめしたり...
ついにはメールアドレスを交換したり本名を教えたりとかなりプライベートな関係になった。きっと今のネットだとこの辺りのハードルはもっと低いのかもしれないが。
しかし高校に上がってから私のネットライフは急激に変化した。
スマホを持つようになり、高校での新しい友達との会話に夢中になっていた。
コミュニティサイトにログインする頻度も月に一回から半年に一回、年に一回とだんだん疎遠になり、自然にネ友との会話もなくなっていった。
気づけばネ友は退会や数年ログインしない状態で全滅しており、私が一人だけ残された。
私は退会するにはいままでの会話ログやブログが消えることが惜しくて、たまにログインしては誰もいない事実を痛感するだけになっていた。
社会人になって、Twitterをやるようになった。
高校の頃に作った公式アカウントをフォローしているだけのアカウントを久しぶりに動かしてみた。
好きなアニメや日々起こった些細なことを呟いていくうちに、気持ち悪いことに気づいてしまった。
「このアカウントで趣味嗜好を呟くたびに、人格が形成されているようで嫌だな...」
この中に一人の人間がいて、思考しているんだという俯瞰した時の感覚。
きっと中学生の私が聞いたら「なんだこいつ」と思うだろう。
あんなに自分の趣味嗜好をさらけ出し友達いっぱいで毎日楽しい!!と思っていたのに
今ではTwitterで他人と関わりたくないと思っている。
しかし自分の思ったことを誰かに聞いて欲しいとは思う。反応はしないで欲しいが。
Twitterでは壁打ちアカウントを作り、ブログは記録用として他人と交流しない生き方をしてきた。なので呟く、フォローする或いはブログを書く以外の機能を使っていない。
しかしたまに、誰かと話していたくなる時がある。
こんなときネ友がいたら時間を気にせず話せるのになと思う。
そんな時は結局匿名でチャットや掲示板に逃げ込むのだ。
気を遣わなくていいし後腐れもない。
今ではこんな交流の仕方が心地よく感じている。
悪いところ
仕事で注意されると頭のなかで自分の悪いところばかりが浮かんできりがないので文字にして整理してみた。うまく言葉にできないだけでまだまだある気がする。
対自分用悪いところメモ
1.すぐに言い訳をする
2.本気を出そうとしない
3.反省できない
4.見て見ぬふりをする
5.自分の意見が言えない
6.誰にでもいい顔をする
7.すぐに言葉にできない
8.反応が鈍い
9.遠まわしに皮肉を言う
10.集中力がない
11.人に注意できない
12.意地を張って甘えられない
13.人の為に動けない
14.人のミスや関係悪化を内心喜んでいる
15.切り替えができない
16.自分に甘い
17.人を素直に褒められない
18.すぐに妥協する
Free and Freedom
続・ポルノグラフィティツアー最終日、私が配信でポルノグラフィティの「続」を見届けるまでのお話。
私は今回のツアーが始まる時、現地に行く気持ちでチケットを取っていた。
徐々にコロナ感染者数は減ったが、職場の決まりで県外に旅行に行く場合は店長に報告しないといけないと言われ、県外ましてやライブに行くなんて言えるわけもなく今回の参加を断念した。私の住まいと職場さえ違えば行けたのかと思うのなんだか悔しかった。そしてこんな状況の中ライブに行こうとしていた私は浅はかだったのかと考えてしまい、断念したわりには吹っ切れていなかった。
そこで私は、きちんと吹っ切れようと思いライブが終わっている公演のセトリを見た。私が一番好きな曲は「Free and Freedom」である。それさえ入っていなければ諦めがつく。緊張しながら見てみると錚々たるセトリの中にFree and Freedomは入っていなかった。セトリ入りした中で聴きたかった曲はたくさんあったが、Free and Freedomが入っていないだけマシだと思った。これで心おきなく今回のツアーを諦められる。
しかし、現実は甘くなかった。なんと後半でセトリが変わったのだ。
ウォーカーがFree and Freedomに変わったと知った時、真っ先に「私が参加しないライブでFree and Freedomをやるってどういうこと...?」と思った。Free and Freedomを何だと思っているんだと思われそうだが、私が一番この曲を好きな自信があるというくらいに唯一無二なのである。異論は認める。
あまりの辛さに職場の休憩時間に泣いた。この曲にかける思いが強すぎて嫉妬深い彼女みたいになっているが一向に構わなかった。もういっそのこと結婚したいくらいだった。何を言っているのかよくわからないが、それほど大事な曲なのだ。
私が好きになったきっかけは原曲である。自分にとっての一番の音源を手にしているのだから、今回のライブで原曲を超えて至上最強音源になろうが私の中の暫定一位はあるのだからこれでいいじゃないか。そう言い聞かせていた。
Free and Freedomがやったからと言ってライブに行けるようになるわけではない。
私は悔しさを胸に、ツアーが無事に完走することを願った。ついでにDVDかラバップ限定でFree and Freedomのライブ映像を見せてくれないかなと願った。あとしまなみの円盤化やチャレンジグッズや幕張ロマポルのライブCD等諸々を願った。
そんな日々の中、吉報が届いた。最終日の生配信決定のお知らせ。
この吉報が届いた時は公園でウォーキングをしていた。通知が来て足を止め、まさかそんなお慈悲が...!!と興奮に打ち震えていた。家まで歩いて5分ほどだったが走らずにはいられず猛ダッシュで家に駆けこんだ。スケジュールを確認すると仕事は休み。神は私に味方していた。ツアーの序盤で見たセトリはほとんど覚えていなかった。記憶力がなくて本当に助かった。
ライブ前日、職場のグループLINEで急遽出勤を代わってほしいと連絡がきた。17時には上がれるのでどうせ家にいても無駄に時間を過ごすだけかと思い交代を引き受けた。
ライブ当日、17時に上がるつもりが他の人の仕事を手伝っていると17時半になっていた。急いで退勤し徒歩で帰る途中、重大なことに気が付いた。
配信チケットを買っていなかったのである。
ついでに言えば何時から始まるのかも把握していなかった。
信号待ちの間に公式Twitterを見ると開演は18時、その時時刻は17時50分。
あんなに楽しみにしていたはずなのになんでチケットを買っていなかったのかは不明だが、私にはこういうことがよくある。いつもギリギリになって慌てるのだ。
開演よりも先にチケットを買おうと思い家までもうすぐだが途中のコインランドリーに入り急いでチケットを購入した。外は雨で手先が冷えてもどかしかった。そしてまたもや家まで5分の距離を猛ダッシュした。
家に駆けこみ急いでパソコンを付け、部屋を暗くしてライブを見る体勢に入った。
REUNIONぶりに見るポルノのライブは素晴らしかった。セトリの濃さとその一曲一曲を最新のポルノグラフィティの曲として塗り替える演奏が、常に進化をしているんだと感じさせた。MCで言っていたようにもうしばらくはやらないだろう曲たちが多かった。その曲を披露するからには当時と今の進化を表せなければならないし、観客も耳の奥にこびりつくぐらいに音を憶えなければならない。そのハードルを軽々と超えるからポルノはライブバンドだと痛感した。ステージにバックスクリーン映像がないのもよかった。ライブハウスのように昭仁さんや晴一さんだけでなくサポートメンバー含めて全体を一つのバンドとして感じた。映像があるライブも好きだが毎回そうだとつまらない。配信で見ていてもわかるくらいに、バンド感が強かった。
そしてついに、この時が来た。
MCで昭仁さんが「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりに~」と言うから「ウォーカー!?Free and Freedom!?どどどどっち!?!?」と心臓バクバクで聞いていた。
「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりにライブでやる曲でございます。
しかと受け止めていただいたら嬉しいなと思います。Free and Freedom」
その時、驚きと歓喜の間にわずかばかりの走馬灯を見た。
職場で泣いた時、配信の通知を見て走って帰った時、職場で配信のことを思い出してにやにやしていた時、冬の公園、夜のバス停、校庭、帰り道...
その全てがあって今があったのだ。この人生に悔いはない。
生(配信)で聴くFree and Freedomはやはり素晴らしかった。普段からFree and Freedomを聴くとき、「今のポルノが演奏したらどうなるんだろう」と考えたりしていた。その妄想すべてを超えて、最強の現実がやってきた。
原曲はカントリー調ロックなのに対し今回はバンドサウンド強めのブルース、なにより昭仁さんの歌い方がロックそのものだった。だんだんと高くなるサビは私がずっと求めていたものだった。音を出しずらそうに、声を枯らしながら歌う姿がずっと見たかった。晴一さんがゆるく体を揺らしてギターを弾いているのが見たかった。アウトロでピアノが一歩前に出るのも今回の演奏にあっていた。そしてなによりドラムが良すぎた。奥のほうで聞こえる「ドッドドッ」これが聞きたかったのだ。
原曲は大海原に放り出され漂流しているように、終始ゆったりとして心地良い。
しかし今回は、愛と自由両方を手に入れたくてもがいている印象があった。
「憧れてるFreedom 僕らにとってそれはどこへ連れ出してくれるのかな」
この言葉が初めて聴いた当時も今も、ずっと刺さっている。進化し続けるポルノが聴かせてくれたFree and Freedomは、間違いなく私の中でCD音源を超えて暫定一位になった。
私の言葉じゃFree and Freedomの良さは語れない。だって知っている言葉はほんのちょっとで感じれることはそれよりも多くて無理やり窮屈な服着せてるみたい。
本当はFree and Freedom以外の曲も触れたいところだが世紀の大興奮で手が付けられない。いろんな記事やつぶやきでたくさんの人がこのライブに触れるだろうと思い、私は私自身のFree and Freedomに対する熱だけに特化して記事にした。
日替わり曲になったウォーカーも本当はすごく聴きたかった。私はポルノのアルバムの中で断トツにアルバムポルノが好きだ。あのアルバムから選出され、今のポルノが演奏するウォーカー、聴きたいに決まっている。これはもう今後のライブに期待するしかない。
ポルノが示してくれた「続」はライブだけでは計り知れないものだった。
これからも私はポルノの進化を見続けたい。このコロナ禍の中でツアーが完走したことは大きな一歩だと思う。コロナが収束した後、声を出してテーマソングが歌える日が楽しみである。ポルノグラフィティは希望そのものだ。
すべての人に感謝
反省できない大人
反省できない大人、紛れもなく私である。
最近自分が反省できていないことに気づいたので記事にして自分と向き合おうと思う。
私は人と比べて、叱られることが少ない方だったと思う。
両親や先生仕事先での上司等に常に叱られないように振舞ってきた。
それは私が単純に叱られることや怒っている人を見るのが嫌いだったからである。
他人同士の喧嘩でさえも大声で怒鳴ったりしているのを見ると血の気が引いていくような感覚があった。家族の喧嘩なら尚更、酷いときには何も関係がないのに風呂場でひっそりと泣いていた。
母から片づけなさいと言われた時、仕事でミスをした時、叱られたその場で謝ってもう二度としないと心の中で誓っていた。昔はよく遅刻する方だったが、一回一回「もうしない!!!」という強い気持ちを本当に持っていた。上司や先輩に本気で謝った一週間後に遅刻をしたりもしたが、毎回謝る気持ちはガチだった。
先日、仕事で処分していいかわからない書類があったので近くにいた人にどうしたらいいか聞いたら「捨てていいよ」と言われたので捨てた。しかししばらく経って他の人に「あの書類は捨てたらダメだよ」と言われた。その時すぐに謝れたらよかったのだが、私は開口一番に「でも〇〇さんに聞いたら捨てていいよって言われたんですよ」と言ってしまった。
私が聞いた人は結構適当なところがある人なのでその場で納得してもらえた。一方で私はすぐに謝れない自分に軽い自己嫌悪を感じた。この時、私ってすぐ逃げたり保身に入ったり責任をどこかに飛ばすところがあるなと気づいてしまった。今回の件は私がすべて悪いわけではないけれど、あの場ではすぐに謝って後で聞いた人に「さっきの書類捨てたらダメらしいですよ」と伝えればよかった。
また別の日には、曜日ごとに担当が決まっている仕事があり私は金曜日の担当だった。しかし実際は他の曜日に担当不在で私がやったり、金曜なのに私が出来ない状況になったりと、担当制はほぼ機能していなかった。なので全員が見れるところに曜日担当もしくは代わりの人を書き出しているので、自分が何曜日の担当なのか覚えていなかった。出勤したときに自分の名前があったらやっていた。
ある日の金曜、私が出勤したら誰の名前も書き出されていなかった。前日のうちに書かなければいけないのだが、前日の人が書くのを忘れていたのだろう。私は自分が金曜の担当なのをすっかり忘れているし名前があったらやるという感覚なので退勤1時間前まですっかりその業務を忘れていた。思い出して急いでやりながら、他の人に「名前が書かれてないから自分だと忘れていた」などとぬかしてしまった。そう言いつつも心のなかで「自分が担当を覚えていないからです!!!」と土下座する勢いだった。
謝りはしたが言い訳したことに変わりはない。周りはそんなに気にしていなかったが私は後悔しながら帰宅した。
これを機に自分の行動を振り返ると、一度怒られたことに対して次ミスをしないように気を付ける理由が「反省しているから」ではなく「怒られたくない、嫌われたくないから」だった。反省しているふりをしているだけだった。反省とはどうするものなのかわかってない。
物事の本質に対してではなくその後怒られることに対してのみ気を配っていた。傍から見ればわからないし、ミスさえしなければいいと思うかもしれない。しかし個人的にはいい大人が反省できず見栄を張ってどうする、と思う。気づいたところですぐに変えられる性格ではない。今までも何かやらかした時に、言い訳を探していた。自分が怒られない理由を必死に探していい子であろうとしてきた。
怒られ慣れていないからこその防御反応だったのだろうか。
私に足りないのは怒られる勇気だ。怒られる=嫌われると思い込んでいる。
怒ってくれる存在がいることのありがたさを感じなければいけない。
なんて思えるかクソが。そんなすぐに人は変わらない。ここまで書いた今でも怒られることは嫌だ。
まずはやらかした時に、真っ先に謝れるように。自分が悪い事をきちんと自分のせいにできるようになろう。
ニートの友達をどうにかしたい
小学校からの付き合いで一年近くニートをしている友達がいる。
元の性格が臆病で心配性なのもあり、高校卒業してからバイトをしていたが上司が厳しかったらしく、そこから転職を繰り返すもなかなかいい職場に巡り合えなかった。
直近の仕事では腰をやってしまい、しばらく安静にと先生に言われ無職にならざるを得なかった。
友達としてはというと、免許も持ってないのに助手席で教官みたいな小言を言うし、誕生日プレゼントを渡す前に「持ってたら捨てていいからね」と一回ならまだしもしつこすぎるくらい念を押すし、何かと気を遣いすぎてて腹が立つこともよくある。
小学校からの付き合いなのだがずっと私のことをさん付けで呼んでいるのもなんだか気に食わない。アニメに影響されて女だが一人称が「俺」なのも引っかかる。あと被せて話してくる。
それでも長年の付き合いなのは私がそいつをほっとけないからだ。
私が姉御肌なわけではなく、機械に疎い母に苛立ちながらも説明している時と似ている。できるはずなのにもう年だからとか、あんたがやったほうが早いだとか、そういう言葉を聞いて「できないはずねえだろ」と感じるのと一緒だ。
できるのに自分を下に見てできないと思い込んでいるのは、傍からみてイライラする。
彼女についても腰をやっているので無理矢理にとはいかないが、私と遊べるなら短時間でも仕事できるんじゃないかと思う。お金どうしてるのと聞くと「貯金と親のすねをかじってる」なんてちょっと笑いながら言ったときはぶっ飛ばそうかと思った。
そいつは過去の職場で鬱になり、障害手帳を持っている。その元凶の職場をやめてから数年たつが、今では普通の人と変わりなく私や店員と話したりしている。だからこそ私は、こいつ仕事しようと思えばできるんじゃね?と思っている。精神的や肉体的に働くのが厳しかったら私も何も言わない。だが親や環境に甘えて出来ることを避け続けているのが嫌だった。親が死んだら自分も死ぬと言っていた。一生親に面倒見てもらって一生すねをかじるつもりでいる。誠に遺憾である。親のすねをかじっているやつに、私はのんきにご飯行こうだの旅行行こうだの言えるわけがない。そのためにも彼女には働いてもらわなくては困る。
先日二人で出かけた。少し休憩するかとベンチに座った時「仕事はじめなよ」と言ってみた。今までもこういうやり取りはあって、いろいろと提案したがああ言えばこう言うタイプなので全拒否された。しかしその日は、意外なほどにすぐに求人サイトを開いた。あいかわらずああいえばこう言うだったが、仕事をする気は少しあるらしい。条件や勤務先などを細かく見て、軽い休憩のつもりが一時間そこに座り吟味した。ようやく決まりネットで応募すると、5分後に面接日を決める電話がきて、明日に面接が決まった。その後買いたいものがあったのでショッピングセンターによったのだが彼女は気が気でなかったようでずっと「こわい」を連呼していた。気持ちはわかるがあまりにもうざすぎる。そんなに心配しなくても24時間後には終わってご飯食べて眠くなってるだろとおもったが、さすがに可哀そうなので言わなかった。
次の日、面接が終わった頃に連絡を入れてみるとあまりにも残念すぎる報告があった。
その会社は応募を締め切っていた。昨日何度も求人ページの条件や募集要項をみて、応募フォームのボタンまで有効だったというのに。職歴を聞かれたあとに募集は締め切ってると言われたらしい。障害手帳を持っていることや、一年間無職だったことが原因だったのだろうか。はたまた本当に締め切っていたのに募集ページを消すのを忘れていたのか。履歴書を事前に送っている時点で彼女の経歴はわかるのだから、変に期待をさせないでほしかった。どっちにしろ昨日一日中彼女は気が気でなかったし私も彼女を落ち着かせるのに相当な労力がかかった。会社への怒りが沸々と湧き上がるなか、彼女からの連絡がきた。
「もうやる気がおきない。諦めがついた」
せっかく重い腰をあげたというのに、まだ始まってもいないのにこいつはまた元の生活に戻ろうとしている。なぜ私がこんなにイライラしないといけないのか。やけくそでもいいからまた別のところに応募すればいいだろうに、彼女は日常に戻ってしまった。
やはり友達としてはきちんと働いて、たまの休みに予定を合わせて遊びたい。
ニートなので遊びの誘いがいつでも出来るのは嬉しいが働いてくれたほうがもっと嬉しい。いずれは旅行にだって行きたい。
あれから一か月後、彼女から連絡が来て「短期だけどバイト決まった」と報告があった。以前やっていた正月の短期バイト先から、今年もやらないかとお誘いがあったらしい。自分で見つけたわけでもないし短期なのだが、それでも十分よかった。
これを機に正月以降も働く気が起きてくれるように祈るばかりである。