やまぐろノート

記録的日記

ネットコミュニケーション

私がインターネットをやり始めたのは中学生の頃。

ネット上で誰かと友達になれることが楽しくてコミュニティサイトやチャットで友達を作ってアバターで会話したりブログにコメントをしたりしていた。

ネ友だけじゃ飽き足らずリア友にもコミュニティサイトをおすすめしてネットでも現実でもよく遊んでいた。

あの頃の私は放課後も休日もネットに入り浸っていた。

ネ友の誕生日、好きな漫画、好きな曲、よくいる時間帯を把握し、おすすめされた曲を聴いて私も好きな曲をおすすめしたり...

ついにはメールアドレスを交換したり本名を教えたりとかなりプライベートな関係になった。きっと今のネットだとこの辺りのハードルはもっと低いのかもしれないが。

しかし高校に上がってから私のネットライフは急激に変化した。

スマホを持つようになり、高校での新しい友達との会話に夢中になっていた。

コミュニティサイトにログインする頻度も月に一回から半年に一回、年に一回とだんだん疎遠になり、自然にネ友との会話もなくなっていった。

気づけばネ友は退会や数年ログインしない状態で全滅しており、私が一人だけ残された。

私は退会するにはいままでの会話ログやブログが消えることが惜しくて、たまにログインしては誰もいない事実を痛感するだけになっていた。

 

社会人になって、Twitterをやるようになった。

高校の頃に作った公式アカウントをフォローしているだけのアカウントを久しぶりに動かしてみた。

好きなアニメや日々起こった些細なことを呟いていくうちに、気持ち悪いことに気づいてしまった。

 

「このアカウントで趣味嗜好を呟くたびに、人格が形成されているようで嫌だな...」

この中に一人の人間がいて、思考しているんだという俯瞰した時の感覚。

 

きっと中学生の私が聞いたら「なんだこいつ」と思うだろう。

あんなに自分の趣味嗜好をさらけ出し友達いっぱいで毎日楽しい!!と思っていたのに

今ではTwitterで他人と関わりたくないと思っている。

しかし自分の思ったことを誰かに聞いて欲しいとは思う。反応はしないで欲しいが。

Twitterでは壁打ちアカウントを作り、ブログは記録用として他人と交流しない生き方をしてきた。なので呟く、フォローする或いはブログを書く以外の機能を使っていない。

 

しかしたまに、誰かと話していたくなる時がある。

こんなときネ友がいたら時間を気にせず話せるのになと思う。

そんな時は結局匿名でチャットや掲示板に逃げ込むのだ。

気を遣わなくていいし後腐れもない。

今ではこんな交流の仕方が心地よく感じている。

悪いところ

仕事で注意されると頭のなかで自分の悪いところばかりが浮かんできりがないので文字にして整理してみた。うまく言葉にできないだけでまだまだある気がする。

対自分用悪いところメモ

 

1.すぐに言い訳をする
2.本気を出そうとしない
3.反省できない
4.見て見ぬふりをする
5.自分の意見が言えない 
6.誰にでもいい顔をする
7.すぐに言葉にできない
8.反応が鈍い
9.遠まわしに皮肉を言う
10.集中力がない
11.人に注意できない
12.意地を張って甘えられない
13.人の為に動けない
14.人のミスや関係悪化を内心喜んでいる
15.切り替えができない
16.自分に甘い
17.人を素直に褒められない
18.すぐに妥協する

Free and Freedom

続・ポルノグラフィティツアー最終日、私が配信でポルノグラフィティの「続」を見届けるまでのお話。

 

私は今回のツアーが始まる時、現地に行く気持ちでチケットを取っていた。

徐々にコロナ感染者数は減ったが、職場の決まりで県外に旅行に行く場合は店長に報告しないといけないと言われ、県外ましてやライブに行くなんて言えるわけもなく今回の参加を断念した。私の住まいと職場さえ違えば行けたのかと思うのなんだか悔しかった。そしてこんな状況の中ライブに行こうとしていた私は浅はかだったのかと考えてしまい、断念したわりには吹っ切れていなかった。

そこで私は、きちんと吹っ切れようと思いライブが終わっている公演のセトリを見た。私が一番好きな曲は「Free and Freedom」である。それさえ入っていなければ諦めがつく。緊張しながら見てみると錚々たるセトリの中にFree and Freedomは入っていなかった。セトリ入りした中で聴きたかった曲はたくさんあったが、Free and Freedomが入っていないだけマシだと思った。これで心おきなく今回のツアーを諦められる。

 

しかし、現実は甘くなかった。なんと後半でセトリが変わったのだ。

ウォーカーがFree and Freedomに変わったと知った時、真っ先に「私が参加しないライブでFree and Freedomをやるってどういうこと...?」と思った。Free and Freedomを何だと思っているんだと思われそうだが、私が一番この曲を好きな自信があるというくらいに唯一無二なのである。異論は認める。

 

あまりの辛さに職場の休憩時間に泣いた。この曲にかける思いが強すぎて嫉妬深い彼女みたいになっているが一向に構わなかった。もういっそのこと結婚したいくらいだった。何を言っているのかよくわからないが、それほど大事な曲なのだ。

私が好きになったきっかけは原曲である。自分にとっての一番の音源を手にしているのだから、今回のライブで原曲を超えて至上最強音源になろうが私の中の暫定一位はあるのだからこれでいいじゃないか。そう言い聞かせていた。

 

Free and Freedomがやったからと言ってライブに行けるようになるわけではない。

私は悔しさを胸に、ツアーが無事に完走することを願った。ついでにDVDかラバップ限定でFree and Freedomのライブ映像を見せてくれないかなと願った。あとしまなみの円盤化やチャレンジグッズや幕張ロマポルのライブCD等諸々を願った。

 

そんな日々の中、吉報が届いた。最終日の生配信決定のお知らせ。

この吉報が届いた時は公園でウォーキングをしていた。通知が来て足を止め、まさかそんなお慈悲が...!!と興奮に打ち震えていた。家まで歩いて5分ほどだったが走らずにはいられず猛ダッシュで家に駆けこんだ。スケジュールを確認すると仕事は休み。神は私に味方していた。ツアーの序盤で見たセトリはほとんど覚えていなかった。記憶力がなくて本当に助かった。

 

ライブ前日、職場のグループLINEで急遽出勤を代わってほしいと連絡がきた。17時には上がれるのでどうせ家にいても無駄に時間を過ごすだけかと思い交代を引き受けた。

ライブ当日、17時に上がるつもりが他の人の仕事を手伝っていると17時半になっていた。急いで退勤し徒歩で帰る途中、重大なことに気が付いた。

 

配信チケットを買っていなかったのである。

ついでに言えば何時から始まるのかも把握していなかった。

 

信号待ちの間に公式Twitterを見ると開演は18時、その時時刻は17時50分。

あんなに楽しみにしていたはずなのになんでチケットを買っていなかったのかは不明だが、私にはこういうことがよくある。いつもギリギリになって慌てるのだ。

開演よりも先にチケットを買おうと思い家までもうすぐだが途中のコインランドリーに入り急いでチケットを購入した。外は雨で手先が冷えてもどかしかった。そしてまたもや家まで5分の距離を猛ダッシュした。

家に駆けこみ急いでパソコンを付け、部屋を暗くしてライブを見る体勢に入った。

 

REUNIONぶりに見るポルノのライブは素晴らしかった。セトリの濃さとその一曲一曲を最新のポルノグラフィティの曲として塗り替える演奏が、常に進化をしているんだと感じさせた。MCで言っていたようにもうしばらくはやらないだろう曲たちが多かった。その曲を披露するからには当時と今の進化を表せなければならないし、観客も耳の奥にこびりつくぐらいに音を憶えなければならない。そのハードルを軽々と超えるからポルノはライブバンドだと痛感した。ステージにバックスクリーン映像がないのもよかった。ライブハウスのように昭仁さんや晴一さんだけでなくサポートメンバー含めて全体を一つのバンドとして感じた。映像があるライブも好きだが毎回そうだとつまらない。配信で見ていてもわかるくらいに、バンド感が強かった。

 

そしてついに、この時が来た。

MCで昭仁さんが「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりに~」と言うから「ウォーカー!?Free and Freedom!?どどどどっち!?!?」と心臓バクバクで聞いていた。

 

「次に聴いてもらう曲は十数年ぶりにライブでやる曲でございます。

しかと受け止めていただいたら嬉しいなと思います。Free and Freedom」

 

その時、驚きと歓喜の間にわずかばかりの走馬灯を見た。

職場で泣いた時、配信の通知を見て走って帰った時、職場で配信のことを思い出してにやにやしていた時、冬の公園、夜のバス停、校庭、帰り道...

その全てがあって今があったのだ。この人生に悔いはない。

 

生(配信)で聴くFree and Freedomはやはり素晴らしかった。普段からFree and Freedomを聴くとき、「今のポルノが演奏したらどうなるんだろう」と考えたりしていた。その妄想すべてを超えて、最強の現実がやってきた。

原曲はカントリー調ロックなのに対し今回はバンドサウンド強めのブルース、なにより昭仁さんの歌い方がロックそのものだった。だんだんと高くなるサビは私がずっと求めていたものだった。音を出しずらそうに、声を枯らしながら歌う姿がずっと見たかった。晴一さんがゆるく体を揺らしてギターを弾いているのが見たかった。アウトロでピアノが一歩前に出るのも今回の演奏にあっていた。そしてなによりドラムが良すぎた。奥のほうで聞こえる「ドッドドッ」これが聞きたかったのだ。

原曲は大海原に放り出され漂流しているように、終始ゆったりとして心地良い。

しかし今回は、愛と自由両方を手に入れたくてもがいている印象があった。

「憧れてるFreedom 僕らにとってそれはどこへ連れ出してくれるのかな」

この言葉が初めて聴いた当時も今も、ずっと刺さっている。進化し続けるポルノが聴かせてくれたFree and Freedomは、間違いなく私の中でCD音源を超えて暫定一位になった。

 

私の言葉じゃFree and Freedomの良さは語れない。だって知っている言葉はほんのちょっとで感じれることはそれよりも多くて無理やり窮屈な服着せてるみたい。

本当はFree and Freedom以外の曲も触れたいところだが世紀の大興奮で手が付けられない。いろんな記事やつぶやきでたくさんの人がこのライブに触れるだろうと思い、私は私自身のFree and Freedomに対する熱だけに特化して記事にした。

日替わり曲になったウォーカーも本当はすごく聴きたかった。私はポルノのアルバムの中で断トツにアルバムポルノが好きだ。あのアルバムから選出され、今のポルノが演奏するウォーカー、聴きたいに決まっている。これはもう今後のライブに期待するしかない。

 

ポルノが示してくれた「続」はライブだけでは計り知れないものだった。

これからも私はポルノの進化を見続けたい。このコロナ禍の中でツアーが完走したことは大きな一歩だと思う。コロナが収束した後、声を出してテーマソングが歌える日が楽しみである。ポルノグラフィティは希望そのものだ。

すべての人に感謝

反省できない大人

反省できない大人、紛れもなく私である。

最近自分が反省できていないことに気づいたので記事にして自分と向き合おうと思う。

 

私は人と比べて、叱られることが少ない方だったと思う。

両親や先生仕事先での上司等に常に叱られないように振舞ってきた。

それは私が単純に叱られることや怒っている人を見るのが嫌いだったからである。

他人同士の喧嘩でさえも大声で怒鳴ったりしているのを見ると血の気が引いていくような感覚があった。家族の喧嘩なら尚更、酷いときには何も関係がないのに風呂場でひっそりと泣いていた。

 

母から片づけなさいと言われた時、仕事でミスをした時、叱られたその場で謝ってもう二度としないと心の中で誓っていた。昔はよく遅刻する方だったが、一回一回「もうしない!!!」という強い気持ちを本当に持っていた。上司や先輩に本気で謝った一週間後に遅刻をしたりもしたが、毎回謝る気持ちはガチだった。

 

先日、仕事で処分していいかわからない書類があったので近くにいた人にどうしたらいいか聞いたら「捨てていいよ」と言われたので捨てた。しかししばらく経って他の人に「あの書類は捨てたらダメだよ」と言われた。その時すぐに謝れたらよかったのだが、私は開口一番に「でも〇〇さんに聞いたら捨てていいよって言われたんですよ」と言ってしまった。

私が聞いた人は結構適当なところがある人なのでその場で納得してもらえた。一方で私はすぐに謝れない自分に軽い自己嫌悪を感じた。この時、私ってすぐ逃げたり保身に入ったり責任をどこかに飛ばすところがあるなと気づいてしまった。今回の件は私がすべて悪いわけではないけれど、あの場ではすぐに謝って後で聞いた人に「さっきの書類捨てたらダメらしいですよ」と伝えればよかった。

 

また別の日には、曜日ごとに担当が決まっている仕事があり私は金曜日の担当だった。しかし実際は他の曜日に担当不在で私がやったり、金曜なのに私が出来ない状況になったりと、担当制はほぼ機能していなかった。なので全員が見れるところに曜日担当もしくは代わりの人を書き出しているので、自分が何曜日の担当なのか覚えていなかった。出勤したときに自分の名前があったらやっていた。

ある日の金曜、私が出勤したら誰の名前も書き出されていなかった。前日のうちに書かなければいけないのだが、前日の人が書くのを忘れていたのだろう。私は自分が金曜の担当なのをすっかり忘れているし名前があったらやるという感覚なので退勤1時間前まですっかりその業務を忘れていた。思い出して急いでやりながら、他の人に「名前が書かれてないから自分だと忘れていた」などとぬかしてしまった。そう言いつつも心のなかで「自分が担当を覚えていないからです!!!」と土下座する勢いだった。

謝りはしたが言い訳したことに変わりはない。周りはそんなに気にしていなかったが私は後悔しながら帰宅した。

 

これを機に自分の行動を振り返ると、一度怒られたことに対して次ミスをしないように気を付ける理由が「反省しているから」ではなく「怒られたくない、嫌われたくないから」だった。反省しているふりをしているだけだった。反省とはどうするものなのかわかってない。

物事の本質に対してではなくその後怒られることに対してのみ気を配っていた。傍から見ればわからないし、ミスさえしなければいいと思うかもしれない。しかし個人的にはいい大人が反省できず見栄を張ってどうする、と思う。気づいたところですぐに変えられる性格ではない。今までも何かやらかした時に、言い訳を探していた。自分が怒られない理由を必死に探していい子であろうとしてきた。

怒られ慣れていないからこその防御反応だったのだろうか。

 

私に足りないのは怒られる勇気だ。怒られる=嫌われると思い込んでいる。

怒ってくれる存在がいることのありがたさを感じなければいけない。

なんて思えるかクソが。そんなすぐに人は変わらない。ここまで書いた今でも怒られることは嫌だ。

まずはやらかした時に、真っ先に謝れるように。自分が悪い事をきちんと自分のせいにできるようになろう。

ニートの友達をどうにかしたい

小学校からの付き合いで一年近くニートをしている友達がいる。

元の性格が臆病で心配性なのもあり、高校卒業してからバイトをしていたが上司が厳しかったらしく、そこから転職を繰り返すもなかなかいい職場に巡り合えなかった。

直近の仕事では腰をやってしまい、しばらく安静にと先生に言われ無職にならざるを得なかった。

友達としてはというと、免許も持ってないのに助手席で教官みたいな小言を言うし、誕生日プレゼントを渡す前に「持ってたら捨てていいからね」と一回ならまだしもしつこすぎるくらい念を押すし、何かと気を遣いすぎてて腹が立つこともよくある。

小学校からの付き合いなのだがずっと私のことをさん付けで呼んでいるのもなんだか気に食わない。アニメに影響されて女だが一人称が「俺」なのも引っかかる。あと被せて話してくる。

それでも長年の付き合いなのは私がそいつをほっとけないからだ。

私が姉御肌なわけではなく、機械に疎い母に苛立ちながらも説明している時と似ている。できるはずなのにもう年だからとか、あんたがやったほうが早いだとか、そういう言葉を聞いて「できないはずねえだろ」と感じるのと一緒だ。

できるのに自分を下に見てできないと思い込んでいるのは、傍からみてイライラする。

 

彼女についても腰をやっているので無理矢理にとはいかないが、私と遊べるなら短時間でも仕事できるんじゃないかと思う。お金どうしてるのと聞くと「貯金と親のすねをかじってる」なんてちょっと笑いながら言ったときはぶっ飛ばそうかと思った。

そいつは過去の職場で鬱になり、障害手帳を持っている。その元凶の職場をやめてから数年たつが、今では普通の人と変わりなく私や店員と話したりしている。だからこそ私は、こいつ仕事しようと思えばできるんじゃね?と思っている。精神的や肉体的に働くのが厳しかったら私も何も言わない。だが親や環境に甘えて出来ることを避け続けているのが嫌だった。親が死んだら自分も死ぬと言っていた。一生親に面倒見てもらって一生すねをかじるつもりでいる。誠に遺憾である。親のすねをかじっているやつに、私はのんきにご飯行こうだの旅行行こうだの言えるわけがない。そのためにも彼女には働いてもらわなくては困る。

 

先日二人で出かけた。少し休憩するかとベンチに座った時「仕事はじめなよ」と言ってみた。今までもこういうやり取りはあって、いろいろと提案したがああ言えばこう言うタイプなので全拒否された。しかしその日は、意外なほどにすぐに求人サイトを開いた。あいかわらずああいえばこう言うだったが、仕事をする気は少しあるらしい。条件や勤務先などを細かく見て、軽い休憩のつもりが一時間そこに座り吟味した。ようやく決まりネットで応募すると、5分後に面接日を決める電話がきて、明日に面接が決まった。その後買いたいものがあったのでショッピングセンターによったのだが彼女は気が気でなかったようでずっと「こわい」を連呼していた。気持ちはわかるがあまりにもうざすぎる。そんなに心配しなくても24時間後には終わってご飯食べて眠くなってるだろとおもったが、さすがに可哀そうなので言わなかった。

 

次の日、面接が終わった頃に連絡を入れてみるとあまりにも残念すぎる報告があった。

その会社は応募を締め切っていた。昨日何度も求人ページの条件や募集要項をみて、応募フォームのボタンまで有効だったというのに。職歴を聞かれたあとに募集は締め切ってると言われたらしい。障害手帳を持っていることや、一年間無職だったことが原因だったのだろうか。はたまた本当に締め切っていたのに募集ページを消すのを忘れていたのか。履歴書を事前に送っている時点で彼女の経歴はわかるのだから、変に期待をさせないでほしかった。どっちにしろ昨日一日中彼女は気が気でなかったし私も彼女を落ち着かせるのに相当な労力がかかった。会社への怒りが沸々と湧き上がるなか、彼女からの連絡がきた。

「もうやる気がおきない。諦めがついた」

せっかく重い腰をあげたというのに、まだ始まってもいないのにこいつはまた元の生活に戻ろうとしている。なぜ私がこんなにイライラしないといけないのか。やけくそでもいいからまた別のところに応募すればいいだろうに、彼女は日常に戻ってしまった。

やはり友達としてはきちんと働いて、たまの休みに予定を合わせて遊びたい。

ニートなので遊びの誘いがいつでも出来るのは嬉しいが働いてくれたほうがもっと嬉しい。いずれは旅行にだって行きたい。

 

あれから一か月後、彼女から連絡が来て「短期だけどバイト決まった」と報告があった。以前やっていた正月の短期バイト先から、今年もやらないかとお誘いがあったらしい。自分で見つけたわけでもないし短期なのだが、それでも十分よかった。

これを機に正月以降も働く気が起きてくれるように祈るばかりである。

行儀悪いとわかっているけどやっちゃうこと

行儀悪いとはわかっているけどついやってしまうこと、3つ

 

1.食べ歩き

さすがに人が多いところではやらないが、人目に付かなければ食べ歩きをしたくなる。

なんならお腹空いていなくても食べ歩きをするためだけに食べることがある。

今はもうなかなかやらなくなったが、私が一番食べ歩きを楽しんでいた頃がある。

職場の先輩に誘われて工場で働いていた頃、夜勤の日は帰宅が3時を回っていた。

工場の前にある道を挟んですぐ向かいにはコンビニがあり、私のアパートは徒歩10分くらいのところにあった。徒歩圏内にはスーパーもなかったため、そのコンビニで買い出しのすべてを済ませていた。(自転車が支給されていたが私は自転車に乗れない雑魚だったので他の人に貸していた)

夜勤が終わりコンビニに寄って野菜や冷凍食品をかごに入れ、最後に10分間の帰路で食べるお菓子を物色する。その日の気分に一番合う物を的確に見つける。一年間働いていたが、なかなかこのスキルは上がらないままだった。

菓子パン、饅頭系の和菓子、南部せんべい、羊羹、シュークリーム、アイス、スティックタイプのケーキ、肉まん、から揚げ・・・

あらゆる食べ歩きできるものを試してきた。家に帰ってからは寝るだけなので、ここで小腹を満たしておこうという気だった。帰路には民家と畑ばかりで、街頭もたいしてなかったので真っ暗だった。すれ違う人もたまっている人もいない。そこを一人で歩く不安に打ち勝つには食べ歩きをして気を紛らわせるのが一番だった。

 

その後別の職場で働いていた時は通勤が車だったので車内での食事が止まらなかった。

運転中はさすがにまずいと思って信号待ちのときに一口サイズのシュークリームやらお菓子を食べていた。

 

今では夜中に外を歩くことがなくなったので食べ歩きをする機会がゼロになったが、今でも夜勤の帰りに食べ歩きをしていた頃に戻りたくなる。

 

2.映画館で体育座り、あぐら

これも周りに人がいないときに「ごめんなさい」と心のなかで映画館スタッフに謝罪しながらやっている。映画館に行くときはロングスカートと決めているので足裏が座席につくことはないが、そういう話ではないはず。

長時間座る際に、足を曲げないとどうにもむずむずしてしまう。2時間の上映の中で体育座りをしたり胡坐をかいたり、片方の足だけ正座したり、かなり頻繁に足を組み替える。なので映画館に行くときは人が少ない時間で、一番後ろの席に限る。

学生の頃は一時間座ることに慣れていたはずだが、大人になるとなぜか我慢ができなくなっていた。ただ、体育館での集会などはどんな座り方をしてもしばらくしたら足が痺れ出していて、同じ体勢のままの同級生を不思議に思っていた。

今は座る事が多い仕事だが職場が緩いので自由にやらせてもらっている。ありがたい。

 

3.食事中にスマホを触る

これは家で一人で食べるときに限るから行儀悪くてもいい気がする。

基本的に一人で食べるときはyoutubeを見たりするのだが、直前まで見ていた記事や新しいグッズが出たりするとスマホ片手に箸を持っていたりする。誰にも気を遣わず、食べながらスマホを見たりハガキを見たりしている時間が「ひとりって最高!」と実感できる。

家族とテレビを見ながら食べたり、フードコートで周りの人や目の前の食事を見ながら食べるのも悪くはない。ただ時々は一人きりの食事がなくてはと思ってしまう。

 

結局は人目につかない一人でいる時間に、どれだけ気を緩められるかの己との勝負だと思う。家族や友人と過ごす時間も好きだが、同じくらい一人の時間が好きだ。

財布を紛失した顛末

不注意で財布を紛失し新たに復活するまでの出来事を、同じように財布を紛失した方やこの先に同じ失敗をやらかした時の自分の為に記しておく。

大まかな流れしか書かないので詳細は自分で調べてみてください。

 

始まりは9月上旬、友人に相談があり私の仕事終わりに会うことにした。

22時にコンビニに寄った後公園に行き暫く話をし日付が変わる前に解散した。

次の日、職場まで徒歩で出勤している私は昼休憩の時に財布がないことに気づく。

最後に財布を使ったのは昨夜のコンビニで、公園の駐車場で車から出る前に「財布いるかな.....いらんか」と話していた記憶があるのでその時までは持っていたのだろう。

おそらく財布を膝の上に置いたまま車から降り、下に落ちたのに気付かず車を離れて帰る時も気づかなかったのだろう。そんなに気づかないことがあるのかと思ってしまうが、どこにもないのでそういうことにしておく。自分で自分が信じられないしこういう人間だったのかと残念な発見をしてしまった気がする。

 

私が失くした財布の中で手続きした物を手続きした順でそれぞれ書いていく。

 

1.クレジットカード

とりあえずクレジットカードを利用停止しようとしたが、後に書くあることが要因で利用停止を渋っていた。利用停止すると解除ができず再発行になることを知り尚更、もう少し探してからにしようとしていた。しかし職場の人から「使われるよりはマシ」という言葉を聞きカード会社に利用停止をしてもらった。再発行のカードは1週間後に届き、公共料金等の支払いや引き落とし口座は自動的に新しいカードに切り替わるらしい。通販やサブスクの支払い先を変更するのが面倒だった。

 

2.免許証

紛失が発覚した2日後夜に警察署に遺失物届を出した。財布の中に入っていたものを書くのだがいつもカード払いなので、現金はお札が入っていたが金額までは覚えておらず千円札一枚だけ書いておいた。夜で窓口が開いてないので後日遺失物届受理番号表をもらいにくるようにと言われた。後日会計課の人に伝えると5分ほどで受理票を渡され、ここでは免許の交付はできないので免許センターに行ってくださいと言われた。書類を書いたりするかと思ったが遺失物届の番号と名前を言うだけであっという間に終わり拍子抜けした。休みの日に朝早くから免許センターに行った。更新の人で駐車場はいっぱいだったが再発行だけなら書類を書いて証明写真を撮るだけだったので30分程度で新しい免許証を貰えた。

 

3.保険証

社会保険に入っているのでまずは会社の人事部に聞き再発行申請書を書いた。あとは本社に送るだけだと言われ、「え?それだけ?」と不安になった。その後免許証と一緒に受理票を発行してもらった。

 

4.キャッシュカード

通帳は持っているのでキャッシュカードのみ利用停止してもらった。見つかった場合解除できるが、再発行となると千円かかると言われ引き出す時に使う口座は通帳でも引き出せるのでしばらく無くてもいいかと思っている。

 

5.カードで予約した商品、応募したチケット

カードを利用停止する時に渋っていた要因はこれである。オタクには死活問題である。まず予約商品だがこれはアマゾンの注文情報のところに「支払方法を変更する」という項目があったので杞憂で終わった。しかし一番の不安要素が応募したチケットだった。応募の際に名前とカード番号を入力していて、もし当選した場合カードは利用停止になっているので引き落としができずキャンセル扱いになるんじゃないかと思った。当落発表が4日後に控える中、ローチケに電話で問い合わせようとしたがコロナの影響で電話受付はしておらず、メールは返信に1週間かかりそうなので当てにしないことにした。一か八かでマイページからカード情報を母の物に変えてみた。ここで変えたカード情報が応募している情報に反映されるかはわからなかったが、メールを待って入金期間を逃したらやるせないと思った。

(追記)公演が延期になり応募した人すべてが落選扱いとなった。これに限っては運がまだ残ってたと感動した。

 

6.ポイントカード

Tカードの利用停止を電話でお願いしたら、新しいカードを店頭でもらって電話で前のカードのポイントが移行できるらしい。T‐SITEに登録していてよかった。新しいTカードを店頭にもらいに行ったときに「住所が確認できるものはお持ちですか」と言われて、身分を証明するものが何一つなかった私は煽られてるのかと思った。現金しかもってなかったので「出直してきます」と言ってそそくさと帰った。後から調べたらポイント機能だけなら身分証なしでできるしネットでも作れるらしい。レンタルするなら身分証を持って出直してきたほうがいいとのことだったので後日出直すことに。免許証が出来た後にツタヤに行くと店員がレジで新旧カードのポイント移行をしてくれた。電話でやるのかと思っていたので「そんなあっさりできるんかい」と思った。

PontaカードはなぜかおさいふPontaを持っており、プリペイド機能は使わずポイントを貯めるだけのカードとして使っていた。カスタマーセンターに電話したら利用停止はしたので一度おさいふPontaを退会してくださいと言われた。教えられた番号にかけると利用停止をしているなら退会ではなく新しいカードを貰って前カードのポイント移行手続きをすると言われ、こちらは「新しいカードを店頭でもらってから出直してこい」だった。

どちらも新しいカードを貰ってきたら前カードのポイントは移行できるらしい。TカードはT-SITEに登録していることが条件らしいが。

 

7.ファンクラブの会員証

この会員証にはICチップが入っているわけでもなくただただご満悦になれるだけのカードだが、財布に入れるほどだったのである。大事にしまっておくよりも常に持っていたいという思いが裏目にでた。再発行には千円かかるがむしろ「再発行してくれるの?!」という気持ちが大きかったのでこの出費は痛くない。キャッシュカードの再発行にかかる千円のほうが高く感じる程だった。

 

その他のポイントカードはたいして額が入ってないものや個人情報を登録していないものだったので諦めることにする。サロンの予約カードや病院の診察券も入っていたが通院しているわけでもないので困らない気がした。

職場の鍵も入っていたがもう一つスペアキーを貰ったので事なきを得た。

一番不幸中の幸いだと感じたのは、現金を把握していなかったことだ。

常にカードで払っているため現金を使うことはほとんどなかった。小銭は別で持っていて財布のなかにお札の端が見えると「千円は確実にある」というスタンスで生活していた。最後に見た財布の中もお札は入っていたがいくらかまではわからない。だからこそ失くした額がわからないので余計なショックを受けずに済んだと思いたい。

 

新しい財布を買うにあたってもう一度前の財布と同じものを買おうかと思ったり、お財布ポシェットにしようかと思ったりしている。前の財布は灰色の革財布で、使った年月の分黒く進化していたのだ。一目ぼれして買ったのでかなり愛着はあった。

今回の事で一番びっくりしたのは「自分は財布をなくすような人間なんだ」ということだ。

ここまでやっておいてまだ自分事のように感じられない自分が怖いばかりである。

 

(追記)結局同じ財布を買った。あいつ、もともとはこんなに灰色だったんだ…月面みたいだなと思った。